村田和哉@ドリブル ~疾風怒濤~
ドリブラーの種類
ドリブラーには2種類が考えられる。
1つは、香川真司やリオネル・メッシといった、狭いスペースで生きる2,3メートルで勝負するタイプ。
もう1つは、ガレス・ベイルや宮市亮といった、広大なスペースで生きる5~10メートルで勝負するタイプである。
今回の主人公である村田和哉はどちらに該当するのだろうか。
答えはわかるだろう。
村田は後者。長い距離で勝負するタイプだ。
これから村田のドリブルについて考える。
抜き去る上で必要な条件
ではここであるワンプレーを見てもらいたい。
開幕戦64分のプレー。
村田がボールを保持している。ディレイしているのは鹿島の梅鉢。
村田が目指しているところは梅鉢の裏。黄色で囲まれたスペースだ。
すごい。残像が見える。
ここから村田はどんなプレーをするのか。
なんとかなりの距離を開けて抜き去っている。
一瞬であるこのプレーが、なぜここまで差ができたのか。
ここで次の画像。
73分のプレー。
ここのマッチアップは山本修斗。
村田が狙っているのは前方のスペース。
村田はアウトサイドでボールタッチしている。外へドリブルしようとしている。
縦にドリブル。勝負を仕掛ける。
クロスを上げる。山本は追いついてない。
結局このあとはどうなったかというと、本田のゴールが生まれている。
村田ドリブルのポイント
ここまでで、村田のドリブルには2つの特徴がある。
- 外(スペース)に逃げる傾向がある
- 勝負を仕掛けるときは、やや長めのボールを蹴る
まず細かいタッチでスペースへ向かう準備をする。なぜスペースへ向かうドリブルをするのか。
ここで最初を振り返ってもらいたい。村田というドリブラーは、スペースがあってこそ生きる5~10メートルで勝負するロングドリブラーなのだ。長い距離にて勝負するには、スペースが絶対条件となる。ここが肝。そして2つ目の特徴。
なぜ長いボールを蹴る必要があるのか。
例えば、香川真司のように狭いスペースでドリブルするには細かいタッチをする必要がある。なぜなら、狭いところを抜くためにスピードは必要ないからだ。ボールを失わないことが望まれる。
しかし、スペースがある状況ではスピードが要求される。そこで細かいタッチをすると簡単に囲まれてとられる。細かいボールタッチには、スピードを犠牲にしなければない。ボールタッチとはある種、ストレスを溜めることもあるのだ。
長いボールを蹴れば、次にボールタッチするまでの時間が空くので、その間はただ走るだけに集中できる。スピード自慢な選手にとっては、ボールという❝異物❞を排除して相手を抜き去ることだけを考えればいい。上手い選手は確実に抜き去ることができる。
これを踏まえて、大前の2点目となるシーンを見てみよう
青丸の村田はこの時点で走り出している。
村田にボールが渡り、勝負する時がくる。
村田が狙うは黄色のスペース。赤丸の鹿島DF植田は、マークしていた長沢駿を捨て、村田へ向けて重心を向ける。
だがこの時点で村田はトップスピードに近い速度でドリブルしている。DFがすべきはディレイしてスピードを遅らせることだ。
村田は長いボールを蹴る。植田はここでスタートを切るが時すでに遅し。
次のボールタッチはこの位置となるが、植田との1対1はこれだけの距離を開けての結果に終わる。村田の完勝。
疾風怒濤
スピードスターは、スペースを見つけることからすべてを始める。
スペースがなければ、自分で作り出すことも大切だ。
村田はスペース(あるいは相手の隙)を見逃すことがなく、確実に相手を仕留めるスキルを持っている。事実、この試合では2アシストを記録している。
間違いなく今シーズンの右サイドは、エスパルスのストロングポイントになるだろう。
そして、それと同時に間違いなく相手チームは早い段階で研究してくはずだ。
村田和哉の真価が試されるのはその後である。
柏木陽介というサッカー選手 柏木陽介という1人の男 ~書評 「自信」が「過信」に変わった日 それを取り戻すための2年間~
第1印象って、大事ですよね
初めてあった人が凄いイカツイ人だったり、怖そうな人だったら、「この人、あまり関わりたくないなぁ」と思ってしまうだろう。
でも実際に接してみると、すごくやさしかったり、話しやすい人だったりすることがある。
第1印象は確かに大事だ。でも、その人に接してみないとわからないことだってある。
すべてを第1印象で決めてしまうのは危険だ。今回はそんな物語。
柏木陽介というサッカー選手
柏木のプレースタイルってどんなモノ?
レフティーでパスが上手いという選手だ。
具体的にいうとどんなタイプだろう。
遠藤保仁のようなゲームメーカーではない。
中村俊輔のようなNO.10、ファンタジスタタイプでもない。
ではどんな選手なのか。
簡単に言えば、トップ下とボランチを掛け合わせたスタイル。運動量はもちろん、アイデアも必要だ。ヤットさんのように完璧な”ボールさばき”ができて、それに加えて”フリック”の使い手としてゴールチャンスを作れるプレーヤーになること。
フリックとは、英語で「はじく」という意味。向かってきたボールをワンタッチで後方に流すプレーのことなんだけど、自分で言うのもなんだけれど、僕以上にこのプレーを使いこなせている選手はいないと思っている(笑)。フリックこそ僕の代名詞だ。自陣にいることも多いボランチというポジションは、カウンターを受けるリスクがあるから、なかなかフリックは使えないけれど、ゴールに近づければどんどんフリックで勝負していきたい。
122項より引用
フリックは後方の選手を活かすプレーである。
では、ゼロックススーパーカップからそのプレーを見てみよう。
前半6分のプレー
左サイドの関根からパスを受ける。
柏木はフリーだ。
この次に、柏木は体制を変え、阿部の方向へ向ける。
だが、これはフェイク。
柏木はさらに向きを変え槙野へ。
槙野はシュートをふかすが、これが柏木が絶対的に自信を持つプレー、”フリック”だ。
柏木は「フリック+@」を求めて、今もスタイルを変え続けている。
″自信″と″過信″の違い
柏木陽介は、客観的に見ればプロサッカー選手としてはエリートな道を歩んでいる。
広島ユースから昇格し、1年目から17試合に出場。
2007年にはU-20ワールドカップに出場。
2009年に浦和レッズに移籍して以降、レッズでは常にレギュラーとして試合に出ている。
しかし、1年目はチームの中では1番下の選手であったという。
例えばサンフレッチェでもトップチームに昇格したときは、「こんなうまい人たちに適うわけがない」と何度も心がくじけた。実際、サテライトですら試合に出られず不安ばかりが募った時期には、沢田(謙太郎)コーチから「いま一番下なんだから、これから上に向かうしかない」と声をかけてもらい、それを必死に自分に信じ込ませて努力しようとしていたぐらいだ。
7項より引用
そんな柏木のプロサッカー人生を変えた出来事が起こる。監督の交代だ。
ミハイロ・ペトロヴィッチの就任によって、1番下の選手がチームの中心にまでなった。
試合に出たことで自信をつけ、2007年には柏木にとって追い風が吹く。
19歳で迎えたこの年、個人的には一番調子が良かった一年だったと言っても過言ではない。4月にはイビチャ・オシム監督率いるA代表(日本代表)の強化合宿に呼んでもらい、6月末から行われた2007FIFAU-20ワールドカップでは10番を背負い、前評判の低かったチームでベスト16進出を果たした。このときのプレーが評価されたのか、取材の数は増え、海外からも注目されているという記事まで目にした。さらに8月後半からは北京オリンピック出場権をかけたアジア最終予選の日本代表としてプレーし、6試合中2試合でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。
個人のプレーの出来としては、最高だった。
ただしこれは、僕にとって「自信」を持ちながらサッカーができた最後の瞬間だったように思う。このシーズン後、僕は「過信」した。
8項より引用
19歳でA代表。そして、海外メディアから注目までされたら普通は自信をもってプレーする。いや、これで悲観的に捉えていたら、それはもはやプロ選手ではない。
だが、”自信”と”過信”は紙一重だ。行き過ぎると、取り返しのつかないことになる。
その2007年は、チームはJ2に降格する。北京五輪のある2008年はJ2でのプレーを強いられる。
結局、五輪メンバーから外れ、サンフレッチェでも10番を背負いながら満足いくプレーができなかった。
2009年に浦和レッズへ移籍するも、満足いくシーズンは送れず、2011年は残留争いの戦いになってしまう。
彼自身が復活、「過信」を自覚し取り戻そうとしたの、2012年に恩師ペトロヴィッチがレッズの監督に就任したときだ。
2013年。興梠信三、森脇良太らを補強し、シーズン終盤には優勝という目標が現実になりかけた。しかし、柏木の調子は本調子からは程遠かった。
日本代表という存在だ。
「今年こそリーグ優勝する」
そう誓い、順調に進んでいるはずのシーズンだったにもかかわらず、どういうわけか、気分が乗らなかったのである。状況を考えれば、嬉しくないはずはない。それなのにサッカーを純粋に楽しめていない自分がいる。その葛藤にもがき苦しみながら、2013年前半は悶々とした日々を過ごしていた。
37項より引用
ワールドカップ最終予選は見ることがなく、ザックジャパンはワールドカップ出場を決める。そのチームの中心は同世代の選手だった。
サッカーという同じ世界を舞台にしていても、なかなかどうして、僕のモチベーションは一向に上がってこなかった。ワールドカップに挑戦する選手たちと比べて、自分はこんなモチベーションのままでいったいなにをしているのか。圭佑くん、(長友)佑都くん、ウッチー(内田篤人)といった同世代の選手たちが活躍している姿があまりにもまぶしすぎた。
39項より引用
柏木にとって複雑な時期だったのかもしれない。かつての同志がワールドカップを目指して戦っているのに、自分は代表にすら呼ばれない。この時期に、さらに柏木は自分を追い込んでしまった。
新しい姿を見つける
2014ブラジルワールドカップ後、柏木には1つのあるべき姿を見つけた。ボランチ転向だ。レッズでもボランチ起用はあるが、今後を考えるとボランチが一番だと思ったという。しかし、どうしても捨てきれない思いもある。
2010年。レッズがオーストリアでキャンプを張っていた時、国際電話でオシムからこんなことを言われた。
「エジルになれ」
心の中でトップ下というポジションで勝負したいという思いがあった。今後の柏木陽介はやはりトップ下で勝負すべき選手なのだ。
2014年。彼にとってこの年はどんな年だったのだろう。プレーヤーとしての方向は決まった。しかし、アギーレが就任した日本代表には入れず、リーグ優勝もあと1歩でガンバに譲る結果に終わった。悔しさしか残らない年だったのか。チームとしてはそうかもしれない。しかし、個人としてはこれほど発見した年もなかったのではないだろうか。1人のプロサッカー選手として。
柏木陽介という1人の男
皆さんは柏木陽介という”人”にどんなイメージを持っているだろうか。
調子乗り世代
2007U-20ワールドカップに出た選手の世代のことだ。
柏木もお調子者だというイメージは少なからずあるのではないか。
ただ、この本を読むと、実は柏木陽介とはとてもナイーブな人なのだ。
とてもネガティブで、後ろ向きに考えてしまう。これが柏木陽介”だった”。
でも、今は違う。
物事をポジティブに考え、自信を少しずつ取り戻している。
僕はちょっと、人のために戦いすぎたかな、と思う。
恩師のため、レッズのため、母のため・・・。
そう思うことで、どんどん自分にプレッシャーをかけてしまっていた。
これからも、人のために戦いたい、とは思う。そこは変わらない。
でも、これからはもっと自分のためにも戦ってみようと思う。自分の成長のために、ピッチで戦い、自分を磨いていく。この二年間で学んだことを生かしレベルアップする。
212項より引用
自分を見つめなおし、進化してゆく。
そんな柏木陽介を今季は注目していきたい
遠藤保仁 その男、偉大なり
こんな人、いませんか?
「日本がやっているのは野球。でも、アメリカがやっているのはベースボールなんだ!」
???
さっぱりわからない。
野球とベースボールの違い。
日本語と英語の違いか?
サッカーとフットボールの違いなら、僕には分かる。
サッカーは英語で言ってもsoccerである。footballではない。
ヨーロッパの人は、フットボールというとラグビーを思いつく人もいる。
もともとサッカーとラグビーは「モッブフットボール」という1つの競技だったのだ。
サッカーとラグビーでは、ルールが違う。このことから、サッカーとラグビーの違いは、大凡検討できる。
でも、野球とベースボールの違いは分からない。マニアックすぎる。なぜなら、どちらともルールは一緒なのだから。この違いを説明しろと言われても、僕にはできない。
でも、この違いとは確かに存在するのだ。そして、この違いを見誤り、苦悩の日々を送った人もいる。元北海道日本ハムファイターズ監督、トレイ・ヒルマンである。
元担当記者が打ち明ける。
「ヒルマンは勉強熱心で、新渡戸稲造の『武士道』(『Bushido,the Spirit of Japan』)から、水島新司の漫画『あぶさん』まで、いろんなものを読み、日本と日本人を理解しようと努めていましたが、チーム成績は伸び悩みました」
1年目(2003年)は5位、2年目は3位、3年目は再び5位。05年のチーム三振数1151はプロ野球ワースト記録。
だが、4年目の06年に「ベースボール」を捨て、「野球」に徹し、活路を見出す。象徴的なのは、犠牲バントの数。05年は54個しかしかなかったが、06年には133個まで増えた。
試合内容を細かく検証すると、バントが即得点に結びついたわけではないが、三振が254個も激減したように、ランナーを進めることで、チームプレーの精神が醸成され、選手が一丸となったのである。
ヒルマンらしかったのは、アメリカのマイナー時代の経験に基づき、2年目のダルビッシュ有(この年、12勝5敗)やルーキーの八木智哉(同、12勝8敗で新人王)を積極的に起用し、育て上げたことだった。
いっぽうで、ベテランにも目配りし、クローザーのマイケル中村など、リリーフ投手の信頼が厚いことから、ベテランの中嶋聡を「抑えの捕手」として起用した。
「抑えの捕手」は、日本の倍の歴史があるメジャーリーグにも存在しない。日本式のコミュニケーションを重んじ、日本ハムは快進撃をつづけ、25年ぶりにパ・リーグの覇権を握るのである。
【ヒルマン監督】青い目の監督が学んだベースボールと野球の違い プロ野球No.1監督が判明!「ポジション別」野球人物学【12】:PRESIDENT Online - プレジデントし
プロの世界において、わずかな違いでも見落とすと大変な事態を招いてしまうのだ。指揮官たるもの、選択に誤りは許されない。
パサーとゲームメーカーとチャンスメーカーの違い
世間には、「パサー=ゲームメーカー」という考えの人は多い。でもこれは大きな間違いである。
ではパサーとは何か。
これはタイプ別ジャンルのことで、ポストプレーヤーとかドリブラーなど、そのジャンルの1部であり、その中にゲームメーカーとチャンスメーカーがある。では、ゲームメーカーとチャンスメーカーの違いとは何か。
簡単に言えば、土台作りがゲームメーカー。盛り付けがチャンスメーカーである。
ではまず、チャンスメーカーから。
この役割は、ゴールに結びつく決定的なチャンスを演出する選手のことである。
流れの中からアシストを決めることが多い選手はこのタイプ。
例えば、ハノーファーの清武弘嗣や、横浜F・マリノスの藤本淳吾、名古屋グランパスのレアンドロ・ドミンゲスはこのタイプである。
それでは、ゲームメーカーとは何か。
これは、数多くの選択肢の中から、最も適切なコースを選択する選手のことである。
ピッチ上の指揮官であるゲームメーカーには選択肢をたくさん用意しなければならない。その与えられた選択肢から正解を導き出すのがゲームメーカーの役割。だからどのチームも、まずはゲームメーカーを封じにかかる。
1流のゲームメーカーはこの選択を誤ることはない。
では、具体的に説明しよう。
今、あなたにはご覧のような環境ができている。
この時、どちらに出すのが正解か。
では、さらに条件をつける。
今のチームの流れは、ペースが変わらず、やや押せ押せムードだとしよう。
ボールホルダーがチャンスメーカーだったら。
それなら、正解はフリーな選手だ。チャンスメーカーは決定的なチャンスを演出する。それでマークがついている選手に出したらすべてが終わる。ジ・エンド。
だったら、ゲームメーカーはどうだろう。
テレ朝サッカー解説の松木安太郎は、たまにこんなことをいう。
「ペースが一定だと、相手も慣れてくるんで、ディフェンスしやすいんですよ」
正にその通り。
居酒屋解説の松木もなかなかいいことを言う。
押せ押せに乗ってフリーな選手に出したら、ペースは変わらない。相手にとられるのがオチだ。チームのペース配分を考え、「今、攻めるときなのか」ということを考えなくてはならない。
では、1流のゲームメーカーと言われる人は、どこに出すのか。
そういう選手は、一旦ゲームを落ち着かせるためにあえてペースを落とすコースを選ぶだろう。いつまでもイケイケでは、最後は相手に舐められる。
では、マークがついてる選手に出して、どう組み立てるのか。
まず、出してみよう。
前を向けないことを頭に入れておきながら、どんな行動を起こすのか。
そこは臨機応変だ。もう1度ボールを受けに行くのも良し。別の空いている選手に出すよう指示するのも良し。ただ、ここで考えてほしいのは、第1目標は「ペースを落とし、落ち着かせること」だ。出した後のプレービジョンまで考えていなければ、その選手はゲームメーカーとして2流だ。これらのことを頭に入れ、これから1流のゲームメーカーである遠藤保仁のプレーを見ていきたい。
遠藤保仁のプレービジョン
昨シーズン天皇杯準決勝から。前半3分のプレー。
遠藤はバックパスを受ける。
この時の遠藤は中でフリーだ。
遠藤に与えられたパスコースは主に2つ。
縦のパトリックか、斜めの倉田である。横の選手も空いているが、たとえ出しても何も起こらないので遠藤の選択肢はこの2つである。
もし、あなたが遠藤ならどこに出すのだろうか。
おそらくたいていの人は縦のパトリックに出すだろう。なぜなら、このときすでにパトリックは動き出している。体制もいいし、かつフリーだ。
でも、ゲームメーカーはそんな教科書通りのプレーを選ばない。1流ならさらに相手の裏をかくことも求められる。
では、相手DFを見てみよう。
重心がパトリックに向けられているのがわかる。
そして、この時の遠藤の目線だが、
パトリックというより、その周辺を捉えている。
この時の遠藤の頭の中では、パトリックに出せば
挟み撃ちされるだろうと考えていたに違いない。
このあとの遠藤だが、相手DFの動きやその後の展開を考え、左の落ちてきた今野を経由して倉田に出した。
その後の遠藤のプレー
組立で、ペースはゆったりしている。
CB金正也からパスを受ける。
その後数タッチして再び金正也へ
金正也は阿部に楔を入れる。
遠藤は受けることができる体制であり、下には米倉が動いている。
この時の遠藤の目線だが、
相手最終ラインとボランチの間が広くなっていること。そこに宇佐美がフリーになっているということを頭に入れている。
その後のプレー。
阿部が潰れ、そのこぼれ球をすかさず拾い
宇佐美に入れる。展開が早くなる。
これはファールになってプレーは止まったが、ペースを速め、相手のスキを見逃さない視野の広さは、やはり別格である。
だから遠藤保仁はすごい
なにがすごいって、この1連のプレーを1タッチでやってるってこと。
クライフはこんなことを言った。
1タッチでプレーできるのは素晴らしい選手。
2タッチはまあまあ。
3タッチはダメな選手だ
横浜フリューゲルス監督だったカルレス・レシャックは遠藤をこのように評する
「日本の選手にはスキルもフィジカルもある。問題はそこではなくて、ゲームのやり方を理解すること」
(中略)
「私がフリューゲルスの監督をしていたとき、遠藤はまだ若手でしたが、彼は自分から責任を取るプレーをしていました」
ボールを持っている味方によって、パスを受けてやる。助けに動いたことで、自分もプレッシャーを受けて危険な状況になるかもしれない。それでも、若い遠藤は自分からボールを受けに動き、場合によっては難局に首を突っ込んでいって解決するプレーヤーだったという。
「遠藤は若いころから、そういう素質を持った選手でした。そうした能力を伸ばし、現在は素晴らしい選手に成長してくれた。とてもうれしいですね」
サッカーバルセロナ戦術アナライズ 最強チームのセオリーを読み解く 著者 西部謙司 発行KANZEN 172項より引用
黄金世代と呼ばれた79年組の中で、1番遅く出てきて1番最後まで生き残った遠藤。頭で勝負し、世界と渡り合ってきた数少ない日本人ゲームメーカー。だから彼は偉大なのだ。
2015×Jリーグ×清水エスパルス
新たなシーズン。新たなエスパルス
激動のシーズンを終え、新たなるシーズンがスタートした。
社長の交代。主力の退団。そして新戦力の加入。
本当にスタートしたんだ。
なんだか昨シーズンが懐かしいような、昨日のように感じるような、そんな気分のさなかで。
冷静に今季のチーム編成を見ると、昨シーズンと比べ戦力ダウンしたとみられてもおかしくはない。
高木俊幸。吉田豊。そして、ノヴァコヴィッチ。この3人の退団による戦力ダウンは大きい。
そして新たな新加入選手。
澤田崇。鎌田翔真。
J1での実績が乏しい彼らがどれだけやれるのだろうか。
いや。実績がないからこそ、データのない彼らが暴れる舞台が整ったといっても過言ではない。
さらにレンタルバック組。
枝村匠馬。犬飼智也。白崎凌平。内田健太。村松大輔。八反田康平。少なくとも彼らは、主力として計算ができなければならない。
本格的に優勝争いをするなら、まだまだ不安の残るメンバーだろう。事実、このチームの課題は1年でクリアできるほど少なくない。
櫛引政敏は真の正ゴールキーパーになれるのか。選手層の薄いSBは誰がこなすことができるのだろうか。人材過多の中盤は誰がファーストチョイスになるのか。河井陽介はどこで起用されるのが1番なのか。大前元紀のポジションは右サイドでいいのか。チーム全体の守備バランスは大丈夫なのか。長沢駿はノヴァコヴィッチに代わりエースストライカーになりえるのか。
言い出せばきりがない。
でも今季は、新たなエスパルスがスタートする元年である。
左伴新社長になり補強費が増すことになった。
そして新外国人の加入が間近である。
チグハグなスタートとなったが、シーズンが始まれば期待せずにはいられない。
優勝を目指せ、とは言わない。納得できるシーズンであってほしい。それがプレーオフ出場であろうが、ACLであろうが。
そんなエスパルスを僕は静かに見守っていこうと思う。
次回は個人技編第1弾。「遠藤保仁。その男、偉大なり」という記事を書きたいと思います。