豚に真珠

サンバのリズムに乗せられて、いつの間にかそのオレンジ色に魅了される。それが清水エスパルスというチームなんだ

サッカーとケガの話

今回は、前回の予告通り「サッカーとケガ」についてやります。エッ!?ちゃんとやるって?やりますよ!いろいろと「やるやる詐欺」連発してきましたが、今回はそんな皆さんの期待を裏切ってちゃんとやります!!
 
1ヶ月ほど前、現在ヴァンラーレ八戸に所属する市川大祐が、現役引退することを表明しました。引退理由としては、やはりケガでした。市川の場合、若いときから慢性的にケガに悩まされていました。今回は、そんな長年付き添ってきた膝のケガということです。
膝のケガっていうのは一生モンで、死ぬまで付いてきます。人間の治癒能力はすごいですけど、膝など関節部分は例外です。というのも、膝のケガというのはほとんだが靱帯です。骨と筋肉をつなぎ合わせる部分ですね。ここをやってしまうというのは、選手生命に大きく影響します。今年のエスパルスも、膝の靱帯をやった選手が2人いましたね。鎌田とデュークです。2人の場合は断裂ではなく、損傷なので少しは軽くなってますが、それでも全治は半年です。
 
靱帯の修復方法とは?
自然治療でもなんとかなるケースはありますが、基本的に手術です。どんな手術をやるのか。
例えば野球選手でいうと、肘の靱帯を損傷する投手が多いです。特にメジャーに渡ったピッチャーは多いですよね。それでどんな手術をするのかというと、皆さんも聞いたことがあるでしょう。「トミー・ジョン手術」です。その名の通り、トミー・ジョンという人が初めてやった手術だからこのような名が付いたわけですが、サッカーでも基本的にはこのような手術です。どんな手術かというと、損傷している部分を切除し、他から健康な腱を移植するという手術です。ピッチャーでは、利き腕とは逆の腕の腱だったり、お尻の硬い筋肉を移植してきます。その手術はネズミ(遊離軟骨除去手術)とは違うので、修復とリハビリに時間がかかります。松坂大輔藤川球児、そして昨年のダルビッシュ有もこの手術をして1年ほど離脱していました。アメリカの考えは、靱帯をやったら1日でも早く手術をして1日でも早く復帰するというのが普通です。トミー・ジョン手術の復帰確率が90%とかなり高いので信用におけます。
ちょっと野球を例に出しましたが、サッカーの場合もこんな感じです。鎌田とデュークもケガしたのが4月の上旬です。そして復帰したのが今月。ですがまだ膝にサポーターをしての復帰でしたのでまだ完全にプレーできるわけではありません。肉離れや骨折とは違い、完全に治るわけではないので正直怖いです。練習試合では45分できても、公式戦で45分はまだ難しいのが現状でしょう。練習試合と公式戦では、プレッシャーも疲労度も全く異なる環境ですので、ケガを抱えたまま試合に出るほどリスクあることはないのですから。

 

サッカー選手において、膝の靱帯を痛めるということは致命的なことです。選手生命を左右するケガです。サッカーにおいては、骨折やら肉離れやら、あとイライラするような違和感などありますが、引退まで追い込まれるのは靱帯系です。市川も何回も膝をやっているし、メスを入れてるので体にかかる負担は大きかったのだと思います。

 

市川大祐エスパルスを去って6年になります。そんなに立つんですね。時の流れは早いものです。エスパルス退団後の市川ですが、ヴァンフォーレ甲府水戸ホーリーホックにそれぞれ1年ずつ。藤枝MYFCに2年。そしてFC今治と八戸に1年ずつでした。しかし、まともにシーズンをフル稼働したのが水戸にいた1年ぐらいです。市川の体は、限界を超えていたのかもしれません。

確かスポパラだったと思うんですが、藤枝にいたとき、市川の現在を追うみたいな密着取材があったんですが、その時1人だけチームを離れて東京の病院に通院し、手術の話し合いをしているシーンがあったのです。薄々、このときから引退が近いのかもなと思ってしまう自分がいました。思えばエスパルスでの最後の方もケガでチョコチョコ離脱していました。膝のケガが完全に治ることはありません。この時点で限界を超えていたかもしれない......。

でも、それを信じたくない自分もいたのも事実です。だって、大ケガはもちろん、オーバートレーニング症候群とか、そういうのを乗り越えてきた“イチ”を知っているから。でもやはり体をごまかすことは出来なかったのです。

 

2010年に市川大祐戦力外通告を受けました。今考えてみると、市川がプレーヤーとしてエスパルスに残るということを考えたとき、果たしてこの先本当に戦力になるかといったら微妙だったのかもしれません。もちろん功労者であるのは間違いありません。しかし、健太体制が終わり、これからケガということに関してはナーバスになる外国人監督を迎えるにあたって、市川がこの先のエスパルスで幸せになれるかを考えたら、たぶんそうはならなかったと思います。そして、市川がJ1のプレーヤーとして相応しいコンディションを保てるかといったら、当時は「NO」という答えを出したはずです。高年棒ということもあり、戦力外通告という提示を出したのもやむを得ないことだったのかも(当時29という年齢だったし)。

 

市川のプレーヤーとしての人生は終わりました。お疲れさまでした。これからは第2の人生が待っています。クラブもフロント入りの要請をしたということもあり、再び清水を舞台にサッカーをやってほしいと思います。

 

 

逆に、伊東輝悦という鉄人を超えた化け物は凄いなぁと思う限りです。ケガせずに40超えて現役なわけですから。次のキャリアとしてどこでプレーするかは分かりませんが、ピッチの上でいつまでもボールを蹴ってほしいと思います。仮に引退したらサッカー業界から離れるかも。指導者をやるタイプとは思えないし。二川孝弘にならぶ、Jリーガー最高峰の無口ですので、どうするのかなぁ。登山が趣味だったから、プロの登山家にでもなるのかな。

 

次回は、各地で話題になったり行政を巻き込んだ問題にもなる「サッカーとスタジアム」についてやります。次回も詐欺りません。