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豚に真珠

サンバのリズムに乗せられて、いつの間にかそのオレンジ色に魅了される。それが清水エスパルスというチームなんだ

柏木陽介というサッカー選手 柏木陽介という1人の男 ~書評  「自信」が「過信」に変わった日 それを取り戻すための2年間~

第1印象って、大事ですよね

 

 

初めてあった人が凄いイカツイ人だったり、怖そうな人だったら、「この人、あまり関わりたくないなぁ」と思ってしまうだろう。

でも実際に接してみると、すごくやさしかったり、話しやすい人だったりすることがある。

 

第1印象は確かに大事だ。でも、その人に接してみないとわからないことだってある。

すべてを第1印象で決めてしまうのは危険だ。今回はそんな物語。

 

 

 

柏木陽介というサッカー選手

柏木のプレースタイルってどんなモノ?

 

 

レフティーでパスが上手いという選手だ。

具体的にいうとどんなタイプだろう。

 

遠藤保仁のようなゲームメーカーではない。

中村俊輔のようなNO.10、ファンタジスタタイプでもない。

 

ではどんな選手なのか。

簡単に言えば、トップ下とボランチを掛け合わせたスタイル。運動量はもちろん、アイデアも必要だ。ヤットさんのように完璧な”ボールさばき”ができて、それに加えて”フリック”の使い手としてゴールチャンスを作れるプレーヤーになること。

フリックとは、英語で「はじく」という意味。向かってきたボールをワンタッチで後方に流すプレーのことなんだけど、自分で言うのもなんだけれど、僕以上にこのプレーを使いこなせている選手はいないと思っている(笑)。フリックこそ僕の代名詞だ。自陣にいることも多いボランチというポジションは、カウンターを受けるリスクがあるから、なかなかフリックは使えないけれど、ゴールに近づければどんどんフリックで勝負していきたい。

122項より引用 

 フリックは後方の選手を活かすプレーである。

 

では、ゼロックススーパーカップからそのプレーを見てみよう。

 

前半6分のプレー

左サイドの関根からパスを受ける。

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柏木はフリーだ。

この次に、柏木は体制を変え、阿部の方向へ向ける。

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だが、これはフェイク。

柏木はさらに向きを変え槙野へ。

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槙野はシュートをふかすが、これが柏木が絶対的に自信を持つプレー、”フリック”だ。

 

 

 

柏木は「フリック+@」を求めて、今もスタイルを変え続けている。

 

 

″自信″と″過信″の違い

柏木陽介は、客観的に見ればプロサッカー選手としてはエリートな道を歩んでいる。

 

広島ユースから昇格し、1年目から17試合に出場。

2007年にはU-20ワールドカップに出場。

2009年に浦和レッズに移籍して以降、レッズでは常にレギュラーとして試合に出ている。

 

しかし、1年目はチームの中では1番下の選手であったという。

例えばサンフレッチェでもトップチームに昇格したときは、「こんなうまい人たちに適うわけがない」と何度も心がくじけた。実際、サテライトですら試合に出られず不安ばかりが募った時期には、沢田(謙太郎)コーチから「いま一番下なんだから、これから上に向かうしかない」と声をかけてもらい、それを必死に自分に信じ込ませて努力しようとしていたぐらいだ。

7項より引用 

 そんな柏木のプロサッカー人生を変えた出来事が起こる。監督の交代だ。

 

ミハイロ・ペトロヴィッチの就任によって、1番下の選手がチームの中心にまでなった。

 

 

試合に出たことで自信をつけ、2007年には柏木にとって追い風が吹く。

19歳で迎えたこの年、個人的には一番調子が良かった一年だったと言っても過言ではない。4月にはイビチャ・オシム監督率いるA代表(日本代表)の強化合宿に呼んでもらい、6月末から行われた2007FIFAU-20ワールドカップでは10番を背負い、前評判の低かったチームでベスト16進出を果たした。このときのプレーが評価されたのか、取材の数は増え、海外からも注目されているという記事まで目にした。さらに8月後半からは北京オリンピック出場権をかけたアジア最終予選の日本代表としてプレーし、6試合中2試合でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。

個人のプレーの出来としては、最高だった。

ただしこれは、僕にとって「自信」を持ちながらサッカーができた最後の瞬間だったように思う。このシーズン後、僕は「過信」した。

8項より引用 

 19歳でA代表。そして、海外メディアから注目までされたら普通は自信をもってプレーする。いや、これで悲観的に捉えていたら、それはもはやプロ選手ではない。

 

 

だが、”自信”と”過信”は紙一重だ。行き過ぎると、取り返しのつかないことになる。

その2007年は、チームはJ2に降格する。北京五輪のある2008年はJ2でのプレーを強いられる。

結局、五輪メンバーから外れ、サンフレッチェでも10番を背負いながら満足いくプレーができなかった。

 

2009年に浦和レッズへ移籍するも、満足いくシーズンは送れず、2011年は残留争いの戦いになってしまう。

 

 

彼自身が復活、「過信」を自覚し取り戻そうとしたの、2012年に恩師ペトロヴィッチがレッズの監督に就任したときだ。

2013年。興梠信三、森脇良太らを補強し、シーズン終盤には優勝という目標が現実になりかけた。しかし、柏木の調子は本調子からは程遠かった。

日本代表という存在だ。

「今年こそリーグ優勝する」

そう誓い、順調に進んでいるはずのシーズンだったにもかかわらず、どういうわけか、気分が乗らなかったのである。状況を考えれば、嬉しくないはずはない。それなのにサッカーを純粋に楽しめていない自分がいる。その葛藤にもがき苦しみながら、2013年前半は悶々とした日々を過ごしていた。 

37項より引用

ワールドカップ最終予選は見ることがなく、ザックジャパンはワールドカップ出場を決める。そのチームの中心は同世代の選手だった。

サッカーという同じ世界を舞台にしていても、なかなかどうして、僕のモチベーションは一向に上がってこなかった。ワールドカップに挑戦する選手たちと比べて、自分はこんなモチベーションのままでいったいなにをしているのか。圭佑くん、(長友)佑都くん、ウッチー(内田篤人)といった同世代の選手たちが活躍している姿があまりにもまぶしすぎた。

39項より引用 

 柏木にとって複雑な時期だったのかもしれない。かつての同志がワールドカップを目指して戦っているのに、自分は代表にすら呼ばれない。この時期に、さらに柏木は自分を追い込んでしまった。

 

 

新しい姿を見つける

2014ブラジルワールドカップ後、柏木には1つのあるべき姿を見つけた。ボランチ転向だ。レッズでもボランチ起用はあるが、今後を考えるとボランチが一番だと思ったという。しかし、どうしても捨てきれない思いもある。

 

2010年。レッズがオーストリアでキャンプを張っていた時、国際電話でオシムからこんなことを言われた。

 

エジルになれ」

 

 

心の中でトップ下というポジションで勝負したいという思いがあった。今後の柏木陽介はやはりトップ下で勝負すべき選手なのだ。

 

2014年。彼にとってこの年はどんな年だったのだろう。プレーヤーとしての方向は決まった。しかし、アギーレが就任した日本代表には入れず、リーグ優勝もあと1歩でガンバに譲る結果に終わった。悔しさしか残らない年だったのか。チームとしてはそうかもしれない。しかし、個人としてはこれほど発見した年もなかったのではないだろうか。1人のプロサッカー選手として。

 

 

柏木陽介という1人の男

皆さんは柏木陽介という”人”にどんなイメージを持っているだろうか。

 

 

調子乗り世代

 

 

2007U-20ワールドカップに出た選手の世代のことだ。

 

柏木もお調子者だというイメージは少なからずあるのではないか。

 

 

ただ、この本を読むと、実は柏木陽介とはとてもナイーブな人なのだ。

とてもネガティブで、後ろ向きに考えてしまう。これが柏木陽介”だった”。

 

でも、今は違う。

物事をポジティブに考え、自信を少しずつ取り戻している。

 

僕はちょっと、人のために戦いすぎたかな、と思う。

恩師のため、レッズのため、母のため・・・。

そう思うことで、どんどん自分にプレッシャーをかけてしまっていた。

これからも、人のために戦いたい、とは思う。そこは変わらない。

 

でも、これからはもっと自分のためにも戦ってみようと思う。自分の成長のために、ピッチで戦い、自分を磨いていく。この二年間で学んだことを生かしレベルアップする。

212項より引用

 

 

自分を見つめなおし、進化してゆく。

 

そんな柏木陽介を今季は注目していきたい